意識が量子効果で生じることを示す実験結果についてちょっと調べただけのメモ

April 21, 2022, 3:09 p.m. edited May 1, 2022, 2:29 a.m.

#量子力学  #意識 

ただのメモ。最近記事が出ていたので、興味から少し調べた。

前提

現在、意識は脳内の神経ネットワークによる活動から発生すると基本的には考えられている。その理由としては、意識の様々な機能と神経活動の相関が既に多く調べられているためである。一方で、少数の一部の流派として、意識は量子的な作用により発生していると提唱する説も存在する。その中で最も有名なものがペンローズ・ハメロフの量子脳理論(Orch OR)であり、意識はおそらくある種の計算不可能なものであり、それを実現するために量子性が存在するというようなものである。計算不可能なら量子計算でも無理では?と思う(量子計算で指数関数的に高速化できるのは NP 完全ほどは難しくない素因数分解のようなものに限られているため)のだが、そこまでこの説についてまだ詳しくは知らないので何とも言えない。また、古典計算よりも高速にヒトが問題を解けるかを実験的に示すのも難しそうだなぁと思う。

それはさておき、ペンローズらの見立てでは神経細胞内で量子性を示す部位として微小管が重要な候補として挙げられている。微小管は細胞骨格を形成するうえで非常に重要な部位であり、神経細胞における特有の働きとしては軸索輸送への貢献などがある。ただ、微小管は神経細胞に限らず細胞であれば存在するので、その見立ては若干どうだろうかと思う。いずれにせよ、まずは微小管で量子性が認められるかはそれ単体でも興味深い話ではあると思う。

個人的には、意識に計算不可能なところがあるなどは否定はできないと思うので、オカルト化は避けつつ頑張ってほしい研究ではある。

当該論文(と思しきもの)を見つけるまで

まず、参考文献として載っていた記事が会員限定ですべて読めるものだったので、これはパス。ゆえに、元論文に当たることにした。が、この元論文として載っていたリンク先はアリゾナ大学の有名な意識のカンファレンスのトップページだったので、ここから頑張って元論文を見つけることにした。

そうして見つけたのが Workshops - Schedules and Bios(おそらく来年以降は URL が変わりそう)から View を押すとダウンロードできる PDF の p.54(右下のページ番号では p.107)の右下「Quantum Optical Properties of Microtubules: Theory and Experiment」1。概要を読むに、

  • 微小管は量子ワイヤとして光遷移を起こし、結果としてタンパク質構造変化を起こすと理論付けられる
    • 微小管内の芳香族アミノ酸における光-物質相互作用を理論で示す
  • 実験事実としてラマン分光によりファノ共鳴が微小管で確認された
    • つまり、離散的なフォノン振動状態と連続的な励起子多体スペクトルの間の小さいスケールの量子もつれを示している

ということらしい。物性物理・量子光学ちゃんとやっておくべきか・・。なお、ラマン分光は以前在籍したことのあるラボでも流行っていたのを記憶している。蛍光物質や着色がなくても生体媒体ごとに何か分けられるというのが便利だったはず。

ただ、ここから見られるのは概要のみなのでもう少し調べる。すると、おそらくこの論文の本体として Fano resonance line shapes in the Raman spectra of tubulin and microtubules reveal quantum effects が見つかる。どちらも著者に Travis さんがいらっしゃるし、概要も大体同じなのでそうであろう。しかもオープンアクセス、やったね。

さて、ここから読んでいく。

Fano resonance line shapes in the Raman spectra of tubulin and microtubules reveal quantum effects

背景

  • 微小管はカーボンナノチューブ (CNT) と似ている
    • 例えば微小管は理論的にメタマテリアルであると示唆されており、一方 CNT はメタマテリアルであることが既にしられている。ゆえに微小管にも CNT と同様にユニークな光学特性があるであろうと期待
  • ラマン分光は物性物理や生物媒体における励起によるプロセスを調べるツールとして広く用いられている
    • ラマン分光は分子振動やフォノンによって生体媒体の可視化ができる
    • ラマン分光により得られるスペクトルのグラフはピークだけでなく、そのグラフの形自体にも意味がある。量子的な挙動を表すファノ共鳴の図は非対称であり、その効果があるほど、左右対称なローレンツ関数・ガウス関数・フォークト関数から形が離れる(Fig. 2
    • ファノ共鳴のピークの形はパラメータ \(q\) によって変形する(式は Material & Methods 内の Equation 1)
    • ファノ共鳴は離散的なフォノンと連続的な励起子多体スペクトルの間の干渉とみなされる
  • 光による微小管構造の変化は、ジスルフィド結合やペプチド結合の変化を介するか、トリプトファン・チロシン・フェニルアラニン基の光励起により引き起こされ、芳香族の柔軟性の変化によりタンパク質に微妙な構造変化をもたらすと考えられる
    • 実験的な証拠が不足しているので、本研究では微小管のラマン分光スペクトルを得て、 CNT で観察されるものと似たファノ共鳴の存在を分析する

結果

  • 微小管のファノ共鳴のピークをフィッティングした結果は、チューブリン(重合すると微小管になる)は Fig. 4、微小管は Fig. 5 に示されている
  • 今回の実験は微小管を乾燥させたものと溶液としたものの 2 種についてそれぞれおこなっている。前者についてはラマンスペクトルのピークはタンパク質の内部・表面フォノンによる振動のみである。一方、後者ではタンパク質溶質の内部・表面振動だけでなく、タンパク質・溶媒の振動の相互作用も存在する。そこで、乾燥させたもののラマンスペクトルをベースラインとする
  • 以下、それぞれのピーク位置は何の構造に対応しているのかを示し、溶液にしたときの変化を記述

考察

  • ピークのより詳細の要因について議論
  • 溶液でのチューブリンでは抑制されたピークが、微小管ではそうではなかった理由などについて議論
  • ジスルフィド結合と芳香族アミノ酸全般、特にトリプトファンに活発なファノ共鳴が起きており、離散的なフォノン振動状態と連続的な励起子多体スペクトルの間の小さいスケールでの量子もつれの可能性を示している
    • ユニークな光学特性を活かし、新たな物質やバイオテクノロジーへの活用が期待される

やっぱり当該記事での論文と違う気がする

いや、麻酔の話どころか、意識の話すら出てこないじゃん!!!

そもそもなぜ↑の論文が該当論文と認識したのかというと、PDF の p.47 (左下のページ番号では p.92) から論文概要紹介が始まることから、それ以降で microtubule の光学特性を実験的に調べたものを探した結果、その論文しか出てこなかったためである。しかし、よく見るとこのカンファレンスには plenary と workshop (と他もありそう)が存在し、そのうち workshop については論文概要が載っていないのである。そして、真の当該論文に関する話は論文概要紹介に含まれていない workshop 内にある TESTING ORCH OR p.35 (左下のページ番号では p.68) の Travis さんの説明に書いてあった2

このワークショップの名称は正式には TESTING ORCH OR: UPDATE ON TWCF PROJECT であるようで、この TWCF とは Templeton World Charity Foundation のことらしい。どうやら The $30 Million Gamified Search For Consciousness にあるように意識理論の検証チームができているらしい。ここにもこのワークショップでの発表者の方々の名前が載っている。

さて、当該論文(論文ではなく報告書っぽいな)は手に入らない3ので、 Travis さんの説明から考える。

背景

  • 意識の損失を引き起こす麻酔の効果は minimal alveolar concentration (MAC) により定義される
    • ゆえに麻酔の効果は 1/MAC に相関する
  • 微小管における量子効果は麻酔によって弱められ、その効果は 1/MAC に比例すると Orch OR からは予想される
    • 麻酔は意識における最も直接的に観察できる効果なので、微小管での量子効果との実験的な証拠が得られることはこの分野の進歩につながるだろう
  • 微小管にて長時間の量子効果が存在することを実験的に示す
    • その状態に麻酔が影響を及ぼすことも示す
  • 最初の実験として、チューブリンのトリプトファン励起を微小管と比較して調べ、空間的に非局在化した量子状態が存在するかどうか、それは麻酔によって減衰するかどうかを調べる
  • 次の実験として、微小管の遅延発光を調べ、微小管の電子励起のデコヒーレンス時間を決定する
    • もしかしたら麻酔によりその時間は減るかもしれない

結果について私の感想

Travis さんの説明では背景しか載っていなかったので、結局、結果は記事から読み取るしかない4

まず、遅延発光5の時間が比較的長時間続くのを観察できたのは良いことである。先ほど要約した論文でも述べられていたのように微小管は CNT と似ており、かつ CNT でも遅延発光はあるようなので、微小管でも遅延発光が確かめられたことはその光学特性の確認になる。

この遅延発光の時間スケールが意識の発生する時間スケールと同じかはわからない。どの文献をリファレンスとしてそう述べているのかを確認できるまでは保留。

また、レーザーにより励起状態が拡散していく距離についても CNT で確認されている (p.15) ようなので、この光学特性が確認されたことも良いこと。

さて、麻酔についてであるが、遅延発光でも励起状態の拡散する距離でも影響が確認されたのはとても興味深い。しかし、ゆえに微小管は意識にとって重要であると結論づけるのはまだ尚早だと思う。その理由は、

  • 光合成での量子効果を確認するために光を用いるのは筋が通るが、一方でそうでない脳内の細胞内環境にて光を照射して得られる動態にどれほど意味があるのか疑問
  • 麻酔の原理としては既に脂質ラフトを破壊するためというものが知られている。これは神経細胞の発火に必要なイオンチャネルの働きを妨げ、直接的に脳内のネットワークに影響を及ぼす。これと比べて微小管における遅延発光や励起状態拡散距離の変化が匹敵する影響を持つかは疑問

ということによる。しかし、だからといって完全に意識と無関係であるといえるわけではなく、さらなる証拠を集める必要がある。例えば、麻酔にこだわるのであれば、脂質ラフトは破壊されているが微小管が無事なら意識は保たれているのか、なんてものが見つかってしまえば趨勢は変わるだろう(ちょっとこの実験は難しそう。倫理的にまず実験申請が通らないだろうし、仮に実験できたとして被験者にその瞬間は意識があったとしても外部に伝える術も海馬に記憶を保存する術もなさそうなので厳しい)。うまい実験デザインや理論的な進歩が必要とはなるだろう。がんばってほしい。


  1. 著者の Travis Craddock は University of Alberta でも Princeton University でもないが、このワークショップに両大学の方がいるので似たようなものであろう。それに、内容からしてもおそらくこの論文のはず・・・と思っていた 

  2. つまり Travis さんは本稿で紹介した論文に加え、麻酔を用いた当該論文にも関わっていたということ。すごいですね 

  3. このプロジェクトのホームページから辿れるリンク先にもまだなかった 

  4. 英語記事だと Quantum experiments add weight to a fringe theory of consciousness もあるがやはり有料 

  5. そもそも遅延発光とはという話だが、英語では delayed luminescence と書かれている。これは Delayed luminescence induced by intersubband optical excitation in a charge transfer double quantum well structure にあるように、量子的に離れた 2 つ以上のエネルギーバンド(この論文では上下それぞれの領域にさらに井戸が存在するのでちょっと複雑)が存在する物質にてレーザー等で上のバンドへ励起させたあと、少しの時間が経ってから落ちて発光するという過程らしい。となると、遅延蛍光と大体同じとみなして良さそうに思う。